日々の業務で感じているジレンマです。
第1章
- 「全部できるはず」という信念が強ければ強いほど、やるべきことは積み上がり、「本当にやるべきか?」と問う余裕がなくなってくる。その結果、どうでもいいタスクばかりが増えていく
- 時間をコントロールしようと思うと、時間のなさにいっそうストレスを感じる
- 自分には、限界がある。その事実を直視して受け入れれば、人生はもっと生産的で、楽しいものになるはず。現実を直視することは、ほかの何よりも効果的な時間管理術
- 自分がやりたいことも、他人に頼まれたことも、すべてをやっている時間はない。だから、それを認めて生きる。そうすれば、少なくとも無駄に自分を責めなくてすむ
- 自由というのは、必ずしも自分が完全に裁量を持っていることを意味しない
- そもそも時間は、自分の持ち物ではない
- 時間のプレッシャーはたいてい外部からやってくる、それは自分ではどうしようもない
- いつか不可能が可能になると信じて無理を続けるかぎり、それは暗黙のうちに、世の中の無理な要求に加担していることになる。一方、不可能は不可能なのだと理解すれば、それに抵抗する力が生まれる
- 無限の生産性やスピードを求める社会を、自分ひとりで覆すことは誰にもできない。それでも、馬鹿げた理想を今すぐ放り捨てることならできる
第2章
- 自分や上司にとって重要なことが、時間内に実行可能だと考える根拠はない
- 多くのタスクをこなせばこなすほど、期待値がどんどん上がっていく
- パーキンソンの法則:仕事の量は、完成のために利用可能な時間をすべて満たすまで膨張する
- メールの処理能力をどんなに高めても、ゴールはない
- 効率化の罠:どんなに高性能な生産性ツールを取り入れても、ライフハックを駆使しても、時間はけっして余らない
- 心の自由を得るための唯一の道は「全部できる」という幻想を手放して、ひと握りの重要なことだけに集中すること
- 現代社会はやるべきことを無限に提供してくれるので「やりたい」と「できる」のあいだに、けっして埋められない溝が生じる
- 「その犠牲に見合うだけの価値があるだろうか」と問うことをしないでいると、やることは自動的にどんどん増えるだけでなく、どんどんつまらなくて退屈なものばかりになっていく
- 必要なのは効率を上げることではなく、その逆
- すべてを効率的にこなそうとするのではなく、すべてをこなそうという誘惑に打ち勝つことが必要。あえて「やらない」と決めること
- 無理して仕事を詰め込まなくてはならないときもあるが、それをデフォルトとしない
- いつかすべてが片付いて完璧な時間が手に入るというのは、ただの幻想
- 仕事以外にも当てはまる。楽しいことをすべて体験したいという衝動に打ち勝ち、すべてを体験するのは不可能だという現実を受け入れることが必要
- スムーズではない日々の手応えこそが、人間関係を深め、心身の健康やコミュニティの健全さを保鍵ではないか
- 便利であるとは、要するに手軽なこと。しかし手軽なことがつねに最善であるとはかぎらない
- 便利さばかりを優先していると、自分が何をやりたいのかわからなくなる
- 自分で手をかけてやらなければ、自分たちが置かれているこの場所を知ることはできない
第3章
- 限りある人生を生きるということは、絶え間なく可能性に別れを告げる家庭
- 有限性に直面することを、自分が望むかどうかが人間という存在の中心的課題
- 死が確実にやってくること、そして自分が死に向かっていることを見つめたとき、人はようやく本当の意味で生きることを知る
- 死を受け入れて生きる態度をいくらかでも取り入れることができたなら、現実は一変する
- 存在することの驚きと、そのあまりの短さに思いを馳せる
- 自分はたまたま生きているだけで、そこに必然的な法則は何もない。すべてはただの偶然で、明日生きている保証なんかどこにもない
- その経験が快適かどうかよりも、そこにいて何かを経験しているという事実のほうが、圧倒的に重要
- 「ほかにも価値のある何かを選べたかもしれない」という事実こそが、目の前の選択に意味を与える。
- 「失う不安」のかわりに「捨てる喜び」を得る
- 何を選ぶとしても、それはけっしてまちがいではない
第4章
- 人生は先延ばしの連続だ。大事なのは先延ばしをなくすことではなく、何を先延ばしにするかを賢く選択すること
- 本当にやりたいことができるように、その他をあえて放置する
- タスクを上手に減らす3つの原則
- ①まず自分の取り分をとっておく
- 本当にやりたいことがあるなら、確実にそれをやり遂げるための唯一の方法は、今すぐにそれを実行すること
- 今やらなければ、時間はない
- ②「進行中」の仕事を制限する
- もっとも重要な3つのことを選択したら、そのうち1つが完了するまで他の仕事は一切やらない
- すべてを同時にこなすことは不可能だとシンプルに理解できる
- 目の前のタスクにじっくりと取り組めるようになる
- 仕事を手頃な大きさに切り分ける習慣がつく
- ③優先度「中」を捨てる
- 優先順位が中くらいのタスクは、邪魔になるだけ。
- そこそこ面白い仕事のチャンスや、まあまあ楽しい友人関係。それは切り捨てるには惜しいように思えるが、限られた人生の時間をいちばん食いつぶしている可能性がある
- ダメな先延ばし:自分の限界を受け入れることができず、動けなくなる。自分が限りある人間だということを認められず、失望を避けるために先延ばしを利用している
- 現実は空想と違って、完全にはコントロールできない。だから完璧をめざしていたら、いつまでたっても実行できない
第5章
- 時間と同じく、注意力にも限界がある
- 意味のある体験をするためには、その体験に注意を向けなくてはならない。注意を向けていないことは、起こっていないのと同じ
- 注意を向けることが、献身の始まり
- アテンション・エコノミー:人々の注意・関心に値段がつけられ、SNSなどのコンテンツ提供者がそれを奪い合っている状態
- 無料のソーシャルメディアは無料ではない。我々は顧客ではなく、商品だから
- 人の心のなかには、気をまぎらわせてくれる何かを求める傾向がある
第6章
- 私たちが気晴らしに屈するのは、自分の有限性に直面するのを避けるため。時間が限られているという現実や、限られた時間をコントロールできないという不安を、できるだけ見ないようにしている
- 重要なことに取り組むとき、私たちは自分の限界を痛感する。思い入れが強いからこそ、完璧にできないことがもどかしい
- すべてをコントロールしたいという欲求を捨てて、とにかく進んでみるしかない
- 退屈とは「ものごとがコントロールできない」という不快な真実に直面した時の強烈な忌避反応
- ものごとは理想的ではない形で展開していく。私たちにできるのは、その事実を受け入れ、現実に身を任せることだけ
- 私たちの邪魔をするのは気晴らしの対象ではない。嫌な現実から逃れたいという、私たち自身の欲求だ
- 私たちにできる最善のことは、不快感をそのまま受け入れること
- 重要なことをやり遂げるためには、思い通りにならない現実に向き合うしかない
- 解決策がない、という事実こそが、ある意味で解決策だといえる
第7章
- 先の計画に個室しすぎると、不安が逆に悪化する
- 未来のすべてを計画通りにしたいと思っても、絶対に安心感は得られない。なぜなら未来は本質的に誰も知ることができないから
- 先のことを心配するとき、その奥には「未来を確実なものにしたい」という願いがある
- 本当は、どんなに未来を心配しても、時間との戦いに勝てるわけがない、先のことは決して確実にはならない
- 計画を立てることが悪いわけではない。未来を良くしようという努力には何の問題もない。問題は、その努力が成功するかどうかを、今この時点で確実に知りたいと思うこと
- 「何が起ころうと気にしない」生き方とは、未来が時分の思い通りになることを求めず、物事が期待通りに進むかに一喜一憂しない生き方。
- 未来をコントロールしたいという執着を手放せば、不安から解放され、今を生きることが可能になる
- 計画とは「ただの考え」にすぎない。現時点での意思表示。確実な実体ではない。
第8章
- 「いつか何かをしたら」というマインドの人は、まだ大事なことが達成されていないせいで現在の自分が満たされていないのだと考える
- そんな考え方では、いつまでたっても満たされることはない
- 「将来の結果を得るために、今の時間を利用する」態度は本当に正しいか
- 人生の報酬は、その流れの只中にこそ存在する。後になってからではもう遅い
- 人生は有限であり、だから必然的に二度とない体験に満ちている
- 人生のあらゆる瞬間はある意味で「最後の瞬間」
- 資本主義とは、時間を含むあらゆるものを道具化する巨大な機械
- 時間を有効活用せよという資本主義の圧力は、人生の意味を徐々に食いつぶしていく
- 人生には「今」しか存在しない
- 生産性向上の姿勢は究極的には「死にたくない」という願望のため
- 「今を生きる」のは、そう簡単なことではない
- 今この瞬間にいようとする努力は、時間を未来のための道具にする態度とは真逆に見えるが、実はほとんど変わらない ⇒ 時間を最大限活用しよう
- 今を生きるための最善のアプローチは、今に集中しようと努力することではない。「自分は今ここにいる」という事実に気づくこと
第9章
- 余暇を有意義に過ごそうとすると、余暇が義務みたいになってくる。それでは仕事とまるで変わらない
- 余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための方法ではないか
- 何も役に立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと
- 日々のあらゆる時間を努力で満たしていれば、いつか幸せな未来がやってくる。そう信じる気持ちは宗教と対して変わらない
- 現代人は禁欲と自罰でみずからの高潔さを証明しないと敗者の烙印を押されそうで不安
- 休息を取るために個人でできる対策として、「不快な感じを受け入れる」ことが大事
- そのうち「将来」はなくなってしまうのに、将来に備え続けることに何の意味があるか
- 何らかの達成を目標とするのではなく、ただ活動そのものを楽しむことをもっと日々の生活に取り入れたほうがいい
第10章
- 何かをきちんと読むためには、それに必要なだけの時間がかかる。それは読書だけではなく、嫌になるほど多くのことに当てはまる事実だ
- 世界はどんどん加速し、僕たちは超人的なスピードで動くことを期待されている。その速度に追いつけなければ、幸せもお金もけっして手に入らない気がする。自分が置いていかれないかと怖くなり、安心感が欲しくてもっと速く動こうとする。ところが不安は消えず、依存のスパイラルが加速していくだけだ
- 超速で生きることには陶酔するようなスリルがあるが、心の平穏は決して得られない
- 自分の無力さを認めて、不可能を可能にしようとする無駄な試みを放棄したとき、人は実際に可能なことに取り組むことができる。まず現実を直視し、それからゆっくりと、より生産的で充実した生き方に向けて歩みだすべき
- ものごとには必要なだけの時間がかかるものだし、どんなに急いでも不安が減るわけではない。
- 「ものごとの進むスピードを自分はコントロールできない」という真実に直面し、不安を押さえつけようとする努力をやめたとき、不安は何か別のものに変化する
- 困難で時間のかかる仕事に取りかかることは、もはやストレスの引き金ではなく、すがすがしい選択になる。
- 「耐えること、じっと持ちこたえて次の一歩を踏み出すこと。そうしたことに価値を見出すべき
第11章
- 誰もが急いでいる社会では、急がずに時間をかけることのできる人が得をする。大事な仕事を成し遂げることができるし、結果を未来に先送りすることなく、行動そのものに満足を感じることができる
- わからないという不快感に耐えれば、解決策が見えてくる
- 忍耐を身につける3つのルール
- 「問題がある」状態を楽しむ
- 「問題」とは自分が取り組むべき何か。そして取り組むべきことが何もなくなったとしたら、人生はまったく味気ないものになる
- 小さな行動を着実に繰り返す
- オリジナルは模倣から生まれる
- まずは立ち止まり、その場に留まってみる
第12章
- 時間を意味のあることに使うためには、他人と協力することが不可欠
- 個人の時間的な自由度が高まると、必然的に、自分の時間と他人の時間を合わせることが難しくなる
- 家族や友人と一緒に休暇を過ごしたほうが、人間関係はうまくいく
- 時間の使い方を外部から決めてもらったほうが、人は安心して生活できる
- 人と生活リズムを合わせたほうが、時間が濃くなり、有意義に感じられる
- みんなのリズムに合わせることで得られる深い意味での自由が存在する。たとえ自分ですべてを決められなくても、価値のある共同作業に参加する自由だ
- 共同の時間が奪われた状況を、自分だけの力で変えることは難しい。それでも一人ひとりが、個人主義の支配に協力するか対抗するかを選ぶことはできる
- 時間は自分のものになりすぎないくらいが、実はちょうどいいのかもしれない
第13章
- いま自分が生きているこの瞬間以外には、どこにも人生の意味など存在しないという事実に直面したとき、時間管理についての究極の問いかけが可能になる。「一度きりしかない時間を、本当に有意義に過ごすというのは、いったいどういうことか」
- 「本当に大事なことだけをする」という考え方には落とし穴がある。あまり大きな理想を抱くと、人は動けなくなってしまう
- 「宇宙はあんたのことなんかクソほども気にしていない」
- ほとんどの人が、自分のことを宇宙の中心的存在のように思っている
- 進化の観点からも理にかなっているが、自分を課題評価すると「時間をうまく使う」ことのハードルが高くなりすぎる
- 自分が無価値であることに気づいたとき、ほっと安心するのも当たり前だ。今まで達成不可能な基準を自分に課してきたのだから
- どんな仕事であれ、それが誰かの状況を少しでも良くするのであれば、人生を費やす価値はある。
第14章
- 時間を支配しようとする態度こそ、僕たちが時間に苦しめられる原因である
- 終わることのない生産性向上の苦行に挑み続ける人がいる一方で、どうなるかわからない不安に耐えられず、仕事や人間関係を始まる前から投げ出してしまう人もいる
- 僕たちはけっして時間を手に入れることができない。僕たち自身が時間だからだ
- 不安や無防備さは、人間にとって当たり前の状態
- 人生は有限であるがゆえに避けられない問題で満ちている。たとえその事実に直面したからといって、問題が消えてなくなるわけではないが、「有限性の問題から逃れられないこと自体には、何の問題もない」
- 痛みが必然であることを受け入れれば、自由がやってくる。
- 人生を生きはじめるための5つの質問
- 生活や仕事のなかで、ちょっとした不快に耐えるのがいやで、楽なほうに逃げている部分はないか?
- 「この選択は自分を小さくするか、それとも大きくするか?」
- 快適な衰退よりも不快な成長をめざしたほうがよい
- 達成不可能なほど高い基準で自分の生産性やパフォーマンスを判断していないか?
- 誰も達成できないような基準を自分に課すのは暴力的な行為
- ありのままの自分ではなく「あるべき自分」に縛られているのは、どんな部分だろう?
- 心の安らぎと解放は、承認を得ることからではなく「たとえ承認を得ても安心など手に入らない」という現実に屈することから得られる
- 誰に認めてもらわなくても、自分はここにいていい。そう思えたときに、人は本当の意味で善く生きられる
- まだ自信がないからと、尻込みしている分野は何か?
- 人生をただのリハーサルのように過ごしてしまうのはたやすい
- いつかもっと上達したら、と思っているうちに時間はどんどん残り少なくなっていく
- 大人になるということは「誰もがすべてを手探りでやっている」という事実を徐々に理解するプロセスではないか
- たとえ経験や自信がなくても、やるのを諦める理由はどこにもない
- もしも行動の結果を気にしなくてよかったら、どんなふうに日々を過ごしたいか?
- 個人の人生とは「みずから切り拓いていく道であり、誰も通ったことのない道」
- 「次にすべきことをしよう(Do the next right thing)」
- それしかできない=それしかしなくていい
エピローグ
- 自分の力を取り戻すためには、誰かがなんとかしてくれるという望みを捨てなくてはならない。「希望などいらない。やることをやるだけだ」
- 希望を捨てたとき、自分の力で歩みだすことができる
- どんな無謀なことも成し遂げられる
- あらゆる苦痛を避けたい
- いつか本当の人生が始まる
- 「絶望を会得する」:どう考えても大丈夫ではないという現実を直視する
- 何もかもをやるという幻想を手放せば、本当に大事なことだけに集中できる
有限性を受け入れるために
- ①開放と固定のリストをつくる
- 固定リストには上限を設ける
- ②先延ばし状態に耐える
- ③失敗すべきことを決める
- ④できなかったことではなく、できたことを意識する
- やったことリストが有効
- ⑤配慮の対象を絞り込む
- ⑥退屈で、機能の少ないデバイスを使う
- 不便だからこそ集中が深まる
- ⑦ありふれたものに新しさを見いだす
- 解像度を上げて人生を過ごす
- 瞑想、散歩、写真、日記など、今やっていることに注意を向ける
- ⑧人間関係に好奇心を取り入れる
- 目の前の人は誰だろう、どんな人だろうと考えてみる
- ⑨親切の反射神経を身につける
- 他人に親切にしたいと思ったとき、即座に実行してしまうこと
- ⑩何もしない練習をする
限りある時間の使い方 人生は「4000週間」あなたはどう使うか? | オリバー・バークマン, 高橋 璃子 |本 | 通販 | Amazon